南三陸町で見た復興とその陰
来る2020年3月11日。私はスイフトを走らせて宮城県南三陸町へと向かった。
まったくの無計画であったがこの頃は便利なものでGoogleがどこへでも連れて行ってくれるのである。
マップに連れられ右へ左へ曲がっていくと,そこには海が広がっていた。それまではいくつも山が連なっていた景色だったのに。私にはこれが面白くてたまらないが,普段からリアス式海岸に住んでいる人には当たり前のことなのだろう。
そう,当たり前のこと。
当たり前が一気に投げ出されたあの9年前の出来事に思いを馳せるためにこの地に来たのだと実感した瞬間でもあった。
何もない場所に,風だけが吹き荒れる。
上.私たちは忘れてはならない
私たちにとっては衝撃的でならなかった東日本大震災から,今日で9年となる。
先日投稿した「震災は起きた。そのことを残すために」というブログから私の意識はとにかく写真を「芸術用」と「記録用」に分けて考えるようになった。
xt2ingenieria0711.hatenablog.com
今回の旅はもっぱら記録用のものであった。
現地に到着すると,そこには新しめの商店街(というよりも平屋の建物の集合体といった方が自然である)が建ち並んでいた。結構大規模な駐車場というのに3月11日ということもあってか車でほとんど埋まっていた。
そこに車を停めると商店街の裏側にある川を挟んで向かい側にあの有名な防災庁舎が見えた。
そこに向かってみると,防災庁舎を囲って公園が建設途中だった。
すっかり防災庁舎は観光地化されてしまっていたが,その周りの景色は海と,山といくつかの家々が建っているだけだった。震災というものがこうも容易く一帯の生活や文化を壊してしまったことを目の当たりにした。
下.今回の訪問を振り返って
防災庁舎は津波を受け,ボロボロになったが,震災遺構として残すための加工がなされていた。上塗りされたコーティングがやけに「偽物」という言葉を彷彿とさせた。
「偽物には価値がある。そこに本物になろうとする意志があるだけ,偽物の方が本物よりも本物だ。」という言葉がある。これはそういうことなのだろうかと思った。